アクションシーン―――。 バトルシーンーーー。
特にバトルマンガやハリウッド映画には欠かせない要素だろう。
観ているとハラハラドキドキ、非常に楽しいのだが、
自分で1から10まで考えて、殺陣を「創る」となったなら、
まったく話は変わってくるでしょう。
今回は、そんなアクションシーンを作る上での一つの要素『強い』/『弱い』のコントラスト、
いわばキャラクターの「強さ」を表すテクニックをいくつか紹介したい。
特にバトルマンガやハリウッド映画には欠かせない要素だろう。
観ているとハラハラドキドキ、非常に楽しいのだが、
自分で1から10まで考えて、殺陣を「創る」となったなら、
まったく話は変わってくるでしょう。
今回は、そんなアクションシーンを作る上での一つの要素『強い』/『弱い』のコントラスト、
いわばキャラクターの「強さ」を表すテクニックをいくつか紹介したい。
「おおっ!!このキャラクター、なんか"強そう"!」
「うわぁ・・・なんかこのキャラは"弱そう"だな・・・・」
この二つの違いはどこから来るのだろうか?「うわぁ・・・なんかこのキャラは"弱そう"だな・・・・」
その”違い”を文章でまとめたとしても、ちょっと分かり難いだろうと思ったので、
ざっとワードでまとめてみた。
どどん!!
まだまだ改良の余地だらけではあると思うが、
ざっとこんな感じではないだろうか?
補足が必要だと思うので、今回はもっとも分かりやすい作品「ドラゴンボール」を
例に挙げながら、説明していきたいと思います。
➀速力ーーーー上記の通り、キャラクターの動きの速さを表す尺度。
『弱い敵は、
強者の速さについてはこれない――。』
ドラゴンボールはまさにこの表現を多用して、強さを引き立たせている。
ドラゴンボールのフリーザ編を思い出して見てほしい。
ベジータや悟飯を瀕死に追いやったギニュー特戦隊の前に、突如現れた『孫悟空』は、
「我こそが宇宙一速い」と自称するギニュー特戦隊『バータ』を
スピードで圧倒してしまうという描写がある。
その後も隊員たちが、悟空の速すぎる動きを目で捉えきれない様子が描写されていく。
速度の次元が、あきらかに違うことを、キャラクターとの関わり合いの中で、
見事に表現できているのだ。
さらに悟空は、ベジータがフルパワーで闘ったのにも関わらず、
まったく応える様子の無かったリクームを、
なんと、たったの”一撃”で撃ち沈めたのだ。
これは➁『破壊力』の表現に当たる。
つまり対象が、キャラクターの”アタック”(攻撃)によって、
どれだけの”ダメージ”(破壊・損失)を負わされたのか、
その”リアクション”によって強さを表すことができるのだ。
リクームの場合は、対象が”人”だったが、
「場所」や「物質」に転用することでも、それを表せる。
すこし時系列は飛ぶが、魔人ブウ編において、
ブウが地球もろとも破壊してしまうといった描写がある。
バカでかい”地球”ですら破壊できる―――これだけで、魔人ブウというキャラクターが
”どれだけ強い”のか、ということを一目で分からされてしまうだろう。
つまり➁破壊力とは言い方を返れば、「放出エネルギーの総量」と、言ったところだろうか?
キャラクターの引き出すパワーが周囲の人物、建物、フィールド、その他もろもろの物質に、
どれだけの破壊(影響)をもたらすのか――――
それによって強さのコントラストを表現することができるのだ。
そして➂、➃表情・体の緊張感。
この二つはまとめてもいいだろう。
さて、”下手クソ”な絵はさておき、AとBの人物。
いったい、どちらが強そうに見えるだろう?
Bと答えたあなた。ずいぶん天邪鬼ですね。
たしかに、この画像の情報量だけでは、二人の本当の”強さ”を推し量るには、
かなり情報不足。
名前や家柄、能力や持ち物、二人の関係性―――そういった人物を形成するために必要な、あらゆる要素が、
かなり伏せられていますからね。
ですのでBと答えたあなた。
それも『正解』と言えます。
なぜなら既存の作品には、
弱そうな美少女として登場したのに、実は怪力の持ち主だったみたいな
「怪力美少女」や、
いつもはボケっとした少年なのに、新幹線みたいに高速で動ける
「高速移動少年」だとか、
なかには、アンバランスなギャップを魅力とするキャラクターも存在しているのも事実だからです。
しかしながら、そういったバイアスを排除して、純粋に画像を見れば、
フツーはAの人物の方が”強そう”に、Bの人物は”弱そう”に見えるだろう。
Aの人物の表情にはどこか余裕があり、体にも余計な緊張が入っていないように見える。
逆に、
Bの人物の表情はこわばっていて、体は怯え震えてるように見える。
さて、二人が闘ったらどっちが勝つだろう?
その勝敗は戦う前から明らかではないだろうか?
こういった、『人物:キャラクター』から醸し出される態度や表情といったものは、
小説の文章であっても、マンガの画でも表せるので、
この内精神の表れを描写に落とし込んでいくだけでも、”強さ”はある程度、表現することができるのはないだろうか?
まとめ
物語とはあくまで存在しない世界を描いていく行為。
『嘘』をひたすら綴っていく行為、と言ってもいいだろう。
つまりそれは、アクションシーンにおいても同じで、
いかに”強そう””弱そう”に見せることができるか、
それが、観る側でなく、創り手側として、
非常に大事になってくる、心構えなのではないでしょうか―――。
意図したように『見せる』技術。
どうだったでしょうか?
完全というには、まだまだ陳腐なメソッドではありますが、
今回上げた4点を意識したり、もしくはこの記事のメソッドを自分なりに改良しながら、
展開と描写を考えれば、少しはあなたの描くキャラクターの”強そう” ”弱そう”に、
説得力が生まれるのではないでしょうか?